望みの錨

  主を信頼し、主に従った石井十次が、施設の土地で農作をする農民、施設で働く職員らに守らせたのは、以下の「憲法」と呼ばれるものだった。
一、天は父なり人は同胞なれは互いに相信し相愛す可(べ)き事 
一、天父は恒に働き給ふ 我儕(われら)も倶(とも)に労働す可き事
一、天恩感謝のため我儕は禁酒禁煙を実行し収入の十分の一を天倉に納むる事
 天倉とは、旧約聖書のマラキ書にある「天の倉」から、十次が名付けたものである。「天に宝をたくわえよ」という聖書の言葉に従い、キリストの愛の業のために献金をすることを意味する。施設の土地で農作をする農民、施設の職員らがこれを守ったところで、この献金から集まった金額は、施設の歳入全体の5%にしか過ぎなかった。
 それでも、信仰によって始められた十次の孤児院は、内外のクリスチャンからの献金によって支えられ、その規模は、当時世界第3位と言われるまでになった。

「親のない孤児よりも、もっと不幸なのは心の迷い子 精神の孤児なのです」   石井十次

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