2009年4月5日

 殆どの人は、幸せの度合いを、肉体的な満足と所有物で判断する。
 もし、幸せがそのように測られるのならば、耳が聞こえず、目が見えない私は、隅に座り込み、腕組みしてひたすら泣くしかない。
 しかし、集会において時折、罪人が立ち上がり、神の善を証しするように、苦難を負うように召命を受けた者が立ち上がり、神の善を証しすることがあるのだ。人生での苦闘は、私たちに与えられた最大の恵みの一つである。
 苦闘は、私たちを忍耐強くし、感受性を鋭くし、神の子としてより相応しい者としてくれる。それは、世の中は苦しみに満ちているが、同時に、苦しみを打ちのめすことも出来ることを教えてくれる。
                                ヘレン・ケラー(1880〜1968)

 

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