2010年11月21日

 

人格と信仰

   大正5年9月10日『聖書之研究』194号 内村鑑三全集22より

 人の人格の大部分は其(その)信仰の結果であつて其信仰を離れて其人格はないのである、
 イエスは人に非ず神なりと信ずるは単に神学説として面白半分に信ずるのではない、是れが信仰である以上は生命の根柢である、イエスの神性と之を信ずる者の人格との間には最も根本的の関係があるのである、贖罪の如きも同じである、・・・之を取り除いて余輩の信仰は其根柢より壊(くづ)れるのである、 
 余輩の罪はキリストの十字架上の死に由て既に取除れたりと聞いて、余輩の心に人のすべて思ふ所に過ぐる平安が臨んだのである、若(も)し其の事が爾(さ)うで無いと云ふならば福音は福音でなくなりて余輩は素(もと)の不信者になるのである、其他の信仰に於ても亦(また)同じである、
 余輩は信仰を如何(どう)でも可(よ)い問題として取扱はないのである、信仰が信仰である以上は是れ人格の基礎である、人は終(つい)には彼が信ずるが如くに成るのである、樹は果(み)を以て知らるとは此事である。

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