道徳は外を謹むにあり、信仰は内を充たすにあり。 内部の欠乏を補うに外部の修飾をもってする、これを道徳と言い、 内部の充実をもって外部に光沢を加う、これを信仰と言う。 道徳は美ならざるにあらず。されども信仰の生彩あるに如かず。 道徳は抑圧なり。信仰は放射なり。 道徳は機械なり。信仰は生命なり。 道徳は信仰のまねにして、その一時的代用たるにすぎず。 (1905年3月『聖書之研究』)