2010年5月23日

 

 慶応義塾を創設した福沢諭吉は、1871(明治4)年、当時二人の息子たちの道徳教育にと、自らその内容をまとめた手作りの教習書、『ひびのをしへ』(日々の教え)を書いている。『学問のすゝめ』を書く一年前のことである。
 「てんとうさまをおそれ、これをうやまい、そのこころにしたがふべし。ただしここにいふてんとうさまとは、にちりんのことにあらず、西洋のことばにてごっどゝいひ、にほんのことばにほんやくすれば、ざうぶつしゃといふものなり」。(『ひびのをしへ』より)
 福沢諭吉が、この『ひびのをしへ』を書くにあたって聖書を参考にしたのは明らかである。「ごっど」は英語でGODのことで、聖書に出てくる神をさしている(詩編95編6節「わたしたちを造られた方/主の御前にひざまずこう。共にひれ伏し、伏し拝もう」)。その神は天地万物を創造した造物主で人格があり、人はその神の御心に従って生きるべき存在であることを、子ども達に教えているのだ。福沢諭吉は、列強キリスト教国によって、日本が植民地化されることを恐れていたのであり、必ずしも、聖書の真理そのものを排撃したわけではなかった。
 福沢諭吉自身はクリスチャンではないが、『ひびのをしへ』を学んだ長男一太郎、三女の俊、四女の滝もクリスチャンとなっており、その孫の代になるとさらに多くのクリスチャンが福沢家から出ている。

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