2010年6月27日

 

 この世には、運命論と偶然主義と呼ばれるものがある。運命論は、すべてがあらかじめ定められているという。偶然主義は、事前に決められているものはなにもない、という。
 しかし、神の摂理とは、人の自由意思による決定事項が、何らかの形でかかわる余地を残しておきながらも、神がすべてを上回って御心を成就される、と信じることである。
 神の摂理に関して、明確にすべき三つの項目がある。

  1. 神の摂理には、人の自由意思を受け入れる柔軟性がある。神は、人が何時に起床して、何を着るかなどということはご計画されない。それらは、各自の意志に任せておられる。神のご計画とは、各自の内面に備わる本来の性質を引き出す柔軟性を持っている。
  2. 神の摂理は、神のご計画を完全に阻止する要因は排除する力を持つ。人の失敗を用いてでも、神はそのご計画を進められる。旧約のヨセフのように、愚かな兄弟間の争いごとをすら、神は人類を救いへと導くために用いられる(創世記45章)。国外追放、投獄、惨めな失敗などは、神がご計画を推進するためのきっかけとなり得る。
  3. 神の摂理の目的は、人の命を守ることである(「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます」テモテ第一2:4)。命の寿命のことだけではなく、その質とその豊かさである。出来事がその目的にかなっているということは、後になって分かる。例えば、イエスの十字架が人類の救いのためであったということは、次第に明らかにされていった。

 日野原重明先生は、京都帝国大学医学部を、結核のため一年間休学した。そのため、大学病院に残るというエリートコースからは外れる。しかし、その病の貴重な体験を通して、患者の気持ちが分かる医師になれたという。ここに神の摂理を見ることが出来る。

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