2011年1月9日

   

年賀状  大正3年1月10日 『聖書之研究』162号

  
内村鑑三全集20より

 「謹賀新年」と、而(し)かもハガキ一枚で、而(し)かも活版(かつぱん)摺(ずり)で、「併(あわ)せて平素の疎遠を謝し、尚(な)ほ将来の友誼(ゆうぎ)を祈る」と、洵(まこと)に平素は同じ市(まち)に住んで居りながら年中曾(かつ)て一回も訪問しないで、甚(はなは)だしきに至ては?々(しばしば)門前を過ぐるも、曾て一回も立寄りもしないで、年の始めに方(あたつ)て活字摺(かつじずり)の葉書で「謹賀新年」を言贈(いひおく)れば其れで「尚ほ将来の友誼」を獲得することが出来ると思ふのは、友誼をあまりに安価(やす)く見積つた思考(かんがへ)ではあるまいか、
 年賀ハガキと雖(いえど)も送るは送らざるに優(ま)さると云ふならば其れまでゞあるが、然し送るにしても少しく意味のある誠実を書贈(かきおく)ることゝしたらば如何(どう)であらふ乎(か)、 
 殊に誠実を貴ぶ基督信者たる者は世俗の習慣に傚(なら)ひ無意味に類したる年賀は之を改めたらば如何であらふ乎(年賀を廃(や)めよとは言はない)、友誼は葉書一枚で持続することの出来る者ではない、友誼の持続は努力と忍耐と犠牲とを要する、
 日本今日の年賀の習慣は却(かえつ)て友誼の神聖を?(けが)すに至る者ではあるまい乎。
(ヨハネ15:13「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛は無い。」)

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