2011年10月16日

 1975年、会社が倒産寸前の危機にあった時、小倉社長は役員に宣言する。「大和運輸は、これからは大口貨物はやめて、小口貨物一本で行く」と。
 役員らは、小口は手間がかかって採算性が低いと猛反対、「世間知らずの2代目はこれだから困るんだ」などと言う。しかし、小倉社長は、小口の荷物を送る主婦たちは不便をしている、そんな人たちを助けたい、主イエスのことば「自分がして欲しいように人にしてあげなさい」(マタイ7:12)を運送業でも実行したいと決意していた。そして、「真心とおもいやり」をもって、「お客様に喜んで頂く」ことを目標にしてやれば、必ず取り扱い個数は増え、利益を生むようになると確信していたのだ。
 小倉社長は、大和運輸に入社した頃、重症の肺結核となり、死を覚悟して4年間入院したことがあった。ちょうど大和運輸がGHQ関連の輸送業務を担当していたため、日本国内ではほとんど入手困難だったストレプトマイシンを米軍ルートで入手でき、当時としては奇跡的に回復する。入院中、聖書を差し入れてくれた人がいて、退院後、救世軍に入り、小倉社長はクリスチャンとなっていた。
 大口貨物をやめた昭和54年度、大和運輸の路線トラック部門は5億円弱の赤字を出すものの、翌年には経常利益39億円をたたき出し、損益分岐点を超したのであった。

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