2011年10月23日

何からの救いなのか
―R・C・スプロール『何からの救いなのか』(いのちのことば社)より

  


 聖書は「救い」という用語をいろいろな方法で用いている。聖書における救いの広い意味は、戦争、病気、死、さまざまな危険などの苦難から救われることである。しかし、人が経験し得る究極的救いとは、やがて来る御怒りからの救済である。
 私たちは、やがて来る御怒りがあることを信じているだろうか。旧約で真の預言者と偽預言者との基本的違いは、前者が主の日を激しい怒りの日として宣言したところにある。人々はそのようなことを聞きたくなかった。だから偽預言者は、主の日は輝きと光と喜びの日であり、なにも心配することはないと人々に約束して、賞賛を得たのである。「神様はあなたを愛しています。」「神様はあなたのためにすばらしいご計画をお持ちです。」
 しかし、現実は、悔い改めない者のために、神のすばらしいご計画などない。そのような人々にとって、さばきの日は、決して良いものではない。神はそのとき、激しく怒って語られる。それが、イザヤの、エレミヤの、エゼキエルの、ダニエルの、ミカの、アモスの、あらゆる預言者のメッセージであった(アモス5:18〜20)。
 クリスチャンたちは主の再臨を思い、心躍らせる。救われている人にとっては幸いな日である。何からの救いであろうか。パウロは、テサロニケの人々に書いたように、救い主は最大の災いから私たちを救い出すお方であると理解していた(テサロニケ第一1:10b「この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来(きた)るべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです」)。イエスこそが、やがて来る御怒りから私たちを救ってくださる救い主である。

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