2011年12月11日

 以下は、内村鑑三の「聖書之研究」第二五号に載せられた青山士(あきら)の「感想録」(祈?文)である。 「万事を知り、為し能わざることなき愛なる父の神よ、私は実に汚れに穢(けが)れたるものでありまして、此の感想録を書くに当りましても尚お飾って書かんとしたものであります。どうぞ願わくはこれ等多くの罪より私を洗い潔め給え、又どうぞ我等に汝の真理を伝うる貴き器となりし諸先生方及び諸兄姉方を祝し給いて益々裕かに彼等の上にあなたの聖霊と恩寵とを下し給わんことを、又私は爾(あなた)の真理の説明者たるのみならず、爾の御業の真の証明者たるべきことを感じ、又爾に倚(よ)る喜びを感ずるものであります。どうぞ此(こ)の感を取去ることなく如何なる悪魔の剣(つるぎ)も之を切り去ることなき様御守りあらんことを、又此の賤(いや)しきものをも爾の器となし給いて爾の為め、我国の為め、我村の為め、我家の為めに御使い給わんことを、又私は信仰弱きものであります。故に或は悪魔の誘いの為めに、あなた、あなたの御子及び師又は兄弟を売るに至らんことを恐るるものであります。願わくは、御恩寵によりまして、どうぞ永遠に欺(あざけ)ることなからしめ給わんことを、… 私は穢(けが)れと罪とに捕われた者であります。故にあなたの御子の救を切に希(ねが)う者であります。どうぞ此の信の弱き者をしてあなたの御子イエスキリストを我等の真の救主として信ずるに至らしめ給わんことを此の罪深き者の此れ等の足らざる祈を尊き主の御名に依て願い上奉ります。アーメン」 工科大学 青山士
 この青山の真摯(しんし)な「神への祈り」に対して、内村は記している。「かかる祈祷を捧げ得る人が工学士となりて世に出る時に天下の工事は安然(あんねん)(心が安らかな、心配のない)なるものとなるべく、亦其の間に収賄の弊(へい)は迹(あと)を絶たれ、蒸汽も電気も真理と人類との用を為すに至て、単に財産を作るの用具たらざるに至らん、基督教は工学の進歩改良にも最も必要なり」と。

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