2011年12月18日

教 会

 

 新約における教会のギリシャ語(エクレーシア)は,旧約において、イスラエルの会衆を意味するヘブル語(カーハール〉の訳語を、キリスト教会にも用いたものである。従って、〈教会〉は、神が諸国の民の中から選び出し、召し集めた群れという意味を担っている。イエスが自分の周囲に集めた弟子たちの団体は、新しい神の民としての教会の土台となる群れであった(マタイ16:18、ルカ22:29、30)。
 使徒行伝は、エルサレムに集まっていた弟子たちの団体に聖霊が与えられて、教会の歩みが始まったことを伝えている(使徒2章)。そこでは、復活の主イエス・キリストを告白し、悔い改めてバプテスマを受けた者たちが、人種や言語の別をこえて、「使徒たちの教えを守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき(これは聖餐に関係している)、祈をしていた」(使徒2:42)。以後教会は常に聖霊に導かれ、力を与えられて、広く世界にキリストの福音を宜教し続ける(使徒1:18、マタイ28:19)。
 しかしとくに重要なのは、「キリストの体」という理解である(ローマ12:5、Iコリント12:27)。キリストは教会のかしらであり、教会はキリストの肢体であるとされる。すなわち、教会は霊において現に在(いま)す生けるキリストに導かれ、このキリストの人格と結びついて存在している。キリスト者相互は、おのおの相違を保ちつつひとつの有機的統一体として、教会を形成している。そしてこの統一体は、「キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るために」たえず「あらゆる点において成長し」ていく(エペソ4:11〜16)。教会は、現にキリストとの一致を賜わっていると同時に、終末時における完成を目ざして進んでいく希望の共同体である。
 キリストは「まことのぶどうの木」(ヨハネ15:1〜11)であり、キリスト者はその枝としてただキリストのうちにとどまることによってのみ、豊かに実を結ぶ。実とはすなわちキリストの言葉によって生き、愛の戒めを守ることである。互いに愛し合うとき、彼らはキリストの愛のうちにいる。   
「聖書辞典」(新教出版社)より

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