2011年2月6日

   

捧ぐることを怠る勿れ

   藤尾英二郎『主キリスト第一〈英二郎青春日記〉』(同信社)より抜粋


 中には富める人であって、主からよく教えられ、主に多く献げている----- 実は献金ではなく神様への返還金と申した方が適当かもしれませんが-----人もあるでしょうが、富める人の中にも、案外なほどさっぱり教えられていないで平気の平座でいる、主に対して冷淡な人があるのではないでしょうか(レビ27:30「土地から取れる収穫量の十分の一は、穀物であれ、果実であれ、主のものである。それは聖なるもので主に属す」)。
 よく考えてみると福音宣伝、といい、祈祷といい、全く初歩の初歩であって、礼拝と献財こそ奥伝、と云いますか、奥義と云いますか、余程その人の霊状が進んでいる人であるのでありましょう。
 これはまた、何十年信仰生活を送っている人でも、さっぱり教えられていない人があるかと思うと、入信早々の人でも深く教えられている人があります。まったくパウロの云った様に「神の恵み」(コリント第二8:1)なのであります。
 これは誰もが経験することと思いますが、励まされてよく献金できる時は、不要なものや、買わなくてもよいものは買わなくて済むし、出さなくてもすむ金は出さずに済んでいますが、献金を励んでしていない時は、不要な金が沢山要る用があったり、出さなくても済む金が随分沢山、出費しなければならない様になることであります。

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