2011年4月24日

真理と智識と自由 大正元年8月10日『聖書之研究』145号   
 内村鑑三全集19 より抜粋

 イエスが己を指して 我は真理なり と曰(い)はれた其意味に於ての真理であります(約翰(ヨハネ)伝十四章六節)、生命(いのち)であり又光でありしイエスは同時に又真理であつたのであります、・・・真理が人として現はれたる者であります、イエスキリストであります。
 「真理」は学問上の真理でなく、真理の実現者なるイエスでありまするが故に「識る」とは智識的に識ることではありません、人を識るは物を識るとは違ひます、人を識るとは彼の心を識ることであります、彼に接近し、彼の友人となることであります、彼と最も深い関係に入ることであります、・・・一体になることであります、
 「真理を識る」こと、即ちイエスと一体に成ること、其結果が「自由」であるとの事であります、・・・「自由」は罪を犯さない自由であります、イエスは自由の反対なる奴隷の何んである乎(か)を説明して曰ひ給ひました、
 誠に実(まこと)に汝等に告げん、凡て悪を行ふ者は悪の奴隷(しもべ)なり と(八章三十四節)、悪を行はざるに至ること、悪者即ち悪魔の羈(き)(たづな、つなぐ)絆(はん)より脱すること、其事が茲(ここ)に言ふ所の自由であります、容易(たやす)く善を行(な)し得るの自由、自由の最も高尚なる、最も確実なる者であります、イエスを識るの結果は此自由であります、

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