2012年1月29日

希望と信仰  1911(明治44)年1月10日『聖書之研究』127号 内村鑑三

 


 見えざる事を望む是を希望と云ふ、解し得ざる事を信ずる是を信仰と云ふ、既に見る所のものは之を望むの要なし、解し得る事を信ずるは知識にして信仰にあらず、
 信仰の貴きは解し得ざる事を信ずるにあり、而(し)かも理由なくして信ずるにあらず、愛の故に信ずるなり、愛の示す所の事を解し得ざるに之を信ずる、是を信仰と云ふ、
 而(しか)して我等の救はるゝは斯(か)かる信仰に由てなり、有限の我等が無限の神に対し幼心(おさなごゝろ)を懐(いだ)くに至て救はるるなり、即ち嬰児(をさなご)となりて救はるゝなり。   
 羅(ロ)馬(マ)書八章廿四節参考。(ローマ8:24 「わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。」)

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