2012年2月19日

律法と福音  1919(大正8)年10月  内村鑑三

 モーセの十誡は言(ことば)其のものが偉大である、之を聞く者は唯(ただ)に古代律法としての知的興味を喚起せしめらるゝのみならず其心に種々なる感想を懐(いだ)かざるを得ない、…十誡の理想を以てすれば神の前に最も重き罪を犯せる者は実に我自身なりとの感念を強くする者もあるであらう、…
 パウロは人類中の偉人であつた、其頭脳の偉大且(かつ)明晰にして其信仰の熱烈且深遠なるは何人も及ばざる所であつた、…此の偉大なるパウロ先生…が一度び自己の経験を語りて次の如き言を発したのである、…我が願ふ所のもの我之を為さず、我が悪(にく)む所のもの我之を為せばなり…それ我れ内なる人に就(つい)ては神の律法を楽めども…我が肢体の中に居る罪の法に従はするを悟れり(ロマ書七章十四節以下)。…此の死の体より我を救はん者は誰ぞや、…「是(こ)れ我等の主イエスキリストなるが故に神に感謝す」
 …人の基督教を研究せんとする動機に種々ある、…最も普通なるは不遇の境に於て自己の安心を求めんとする者と宗教の娯楽的研究を目的とする者とである、然しながらパウロの信仰の根底は全然之等の動機と其趣を異にした、それは境遇的に非ず社会的に非ず人類的に非ずして個人的また倫理的また霊的であつた、彼は律法と自己との調和に苦んで其解決を得んと欲したのである、茲(ここ)に聖(きよ)き律法のあるあり、之を守らざるべからず、然れども守る能(あた)はず、之れ人類に取て永久の疑問である、
 律法が余を追うてキリストの十字架に縋(すが)らざるを得ざらしむるのである、…人は律法の問題を有する限り福音より逃るゝ事が出来ない、此(この)出発点より出でたる者のみ能(よ)く新約聖書を解(かい)し得るのである。…何人も遭遇せざるべからざる律法の問題を回避せずして誠実に之を解決せんと欲する者に取ては新約聖書の全体が歓喜である感謝である、律法は人をして福音に到らしむる唯一の途(みち)である。

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