2012年3月25日

 「お笑い」に関して、英国の聖書学者ウィリアム・バークレーは以下のように記している。笑いによる奉仕はたしかにある。わたしは偉大な笑いの製造者たちに対して、深い感謝の気持を抱いている。彼らもまた人に仕え、神に仕えているのである。なぜなら、たといわずか一時間でも、人びとの生活に陽光をもたらすものは、大いに価値あることをやっているわけだからである。             

 笑いは神の大いなる賜物の一つである。ここに三つの問がある。
 あなたは人びとを笑わせることができますか。
 グループや仲間のなかにその人がいると、たちまちみんなが愉快になって笑いだす、いやその人に会うだけで幸福を感ずる、といったそういう明るい人がいるものである。またそれとは反対に、冷水のような、黒雲のような、会っただけでひんやりする人がいる。笑いを生み出す人は、神の仕事を実践しているのである。

 人に笑われても平気でいられますか。
 笑われるとひどく腹を立てる人がいる。また、笑われるとすぐにカッとする人がいる。クリスチャンは、イエスへの忠誠のゆえに、世間の人から馬鹿だと思われることがある。クリスチャン生活のむずかしさは、一つには、ここにある。笑われてもそれに耐えることができるようになるためには、謙遜と勇気が必要である。謙遜と勇気、この二つはおそらく人間最高の美徳であろう。

 あなたは自分を笑うことができますか。
 いろいろな意味で、人生における最大の賜物は、自分を笑うことができるという能力である。ときどき自分がどんなに馬鹿げたことをやらかすか、どんなにこっけいな姿を見せるか、をはっきり見てとって、自分のおかしさを自分で笑うことができたなら、人生はずっと生きやすいものになるだろう。(ペトロ第一4:10 「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。」)

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