2012年5月13日

日 本

   

内村鑑三全集9 1901(明治34)年5月『聖書之研究』より
 日本国は其王室にあらず、王室は日本の頭脳なり、日本国は其富士山にあらず、富士山は日本の頭額なり、日本国は琵琶湖にあらず、琵琶湖は日本の眼眸(め、ひとみ)なり、日本国はまた其民衆にあらず、民衆は日本の手足なり、日本国は山にあらず、河にあらず、湖水にあらず、亦其民にあらず、日本国は精神にしてソールなり、吾人(ごじん)は先ず彼に忠実ならざるべからず、然らば彼に属する総てのものに向て真正に忠実なるを得べし。  

   

日本国の将来

  

内村鑑三全集11 1903(明治36)年5月『聖書之研究』より
 今や日本国を政治的に救ふの希望は全く無い、社会的に救ふの希望も殆んど無い、然し宗教的に救ふの希望は充分に有る、爾(そ)うして宗教的に救へる希望のある国は終には社会的にも政治的にも救へる希望の有る国である、宗教家の立場より見て日本国の将来は甚だ多望なるものである。

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