2012年7月22日 望みの錨

 すべての道は天に通じている″―そうじゃないかい?でも本当にそうだろうか。この言葉は、テレビやラジオのトーク番組では格好の話題を提供しているけれど、でもそれは正確なのだろうか。神への近づき方は、どれもすべて正しいのだろうか。
 イスラム教徒は、イエスは十字架にかけられてはいないと言い、クリスチャンは、イエスは確かに十字架にかけられたと言う。両方とも正しいということはありえない。ユダヤ教徒は、イエスが救い主であるという主張を拒否する。クリスチャンは受け入れる。では、どちらが誤っているのだろうか。
 仏教徒は、五百四十七回もの輪廻ののちに成就する涅槃(ねはん―煩悩を断じて絶対的な静寂に達した状態。仏教における理想の境地)に目を向ける。クリスチャンは一度の生と一度の死、そして永遠に続く神との親しい交わりを信じる。どちらか片方の見方が間違っているのではないだろうか。人道主義者は、いのちの創造主を認めない。イエスはいのちの源だと主張しておられる。どちらかが愚かなことを語っている。心霊主義者はあなたの手のひらを観る。クリスチャンは聖書をみる。
 ヒンドゥー教信者は、人格をもたない複数の神を信じている。キリストに従う者は、「唯一の神以外には神は存在しない」(コリント人への手紙第一8章4節)ことを信じている。どちらかが間違っている。その中でも際立っているのは、非キリスト教の宗教がどれも「あなたは、あなたを救うことができる」と言っていることだ。イエスは、「わたしの十字架の死があなたを救う」とおっしゃっている。
 マックス・ルケード『希望の数字3・16』(いのちのことば社)より

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