2013年5月5日 望みの錨

 キリストにある自己否定とは、「自分は全く価値のない存在です。悪い者です」と言って終わるのではない。
 それは、自己中心的に自分の力で何でもやろうとしてきた自己を否定し、これからはキリストに従っていく人生を送ろうと決めることである。
 「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう」(マタイ16:25)というイエス様の約束を正しく理解した時、私たちには以下のような思いが生まれる。

 「私は神から与えられた夢を信じなかった。これからは、信じよう。」
 「私は主が十字架で命を捧げられるほど私を愛されたように、自分で自分を愛せないでいた。これからは、神が私を愛しておられることを覚え、自分を愛せるようにします。」
 「私はかつて自己中心的であり、失敗の恐れに負けてしまった。人から笑われるのが嫌だったのです。これからは、何か神のために偉大なことをしようと思います。」
 「私は義のために自分を捧げます。私は正しいことをして、神が与えられた夢に応えます。たとえそれが不可能なことに思えても。」

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