2013年6月23日 望みの錨

力の宗教  大正10年9月10日『聖書之研究』254号 内村鑑三

 若(も)し基督教が思想であるならば、善き頭脳と共に金と時とを有する人は何人(なにびと)と雖(いえど)も之を了解して善き基督者(クリスチャン)たる事が出来る、而(しか)して多くの人は、殊(こと)に大抵の近代人は、基督教を如(かくの)斯(ごと)くに解して、偏(ひとへ)に研鑽(けんさん)練磨の功(いさお)を積んで之を会得(えとく)して自ら深遠なる基督者たらんと欲する、
 然れども幸にして基督教は思想でない、故に之は神学者と註解書を読破して了解し得らるゝ者でない、基督教は人をして救拯(すくい)に至らしむる神の能力(ちから)である、故に神より直(ただち)に賜はる者であつて、人より進んで獲得(かくとく)する事の出来る者でない、
 基督教は神学でない、聖書知識でない、信仰であり、聖霊の能力(ちから)である、神の最大の賚(たま)賜(もの)である、故に切に祈り求むべき者、また謙遜(へりくだ)りて恩賜(おんし)に接すべき者である、基督教に在りては、知識は縦令(たとえ)聖書知識たりと雖も、神より直に降る真の生命の代用をなさない、
 無学は勿論択(えら)むべきでない、然れども基督教は書籍に於(おい)て求むるも之を獲(え)るを得ない、心の貧(まづし)き者即ち知識に頼まざる者は福(さいわい)なり、天国は其人の有(もの)なれば也。

バックナンバーはこちら HOME