2014年11月9日 望みの錨

神の国の建設に就いて

 神の国は、神が建設し給ふ者である。人は之を建設する能はず、人が神に代って建設して之を神に献げまつる者ではない。
 神の国は彼の聖意(みこころ)が完全に行はるゝ所である。此世が此儘(このまま)にて如此(かくのごと)き所と成り得やう筈(はず)がない。罪が完全に除かれ、万物に改造が施されて、此世が化して神の国と成るのである。茲(ここ)に最後の大奇跡が行はるゝ必要がある。
 神の国は天より顕はるべき者であって地より起こるべき者ではない。(黙示録21章1?2節)人が運動努力に由て積上げて成る者でない、人類進化の結果として出現する者でない、神の新らしき造化として新たに地は現はるゝ者である。 
 然らば信者は神の国の建設に何の寄与すべきものなき乎(か)…信者はバプテスマのヨハネの如くに神の国の到来を宣伝し、人をして之を迎ふるの準備を為さしむべきである。信者はまた行為(おこない)を以て神の国の実在を証明すべきである。キリスト山上之垂訓は特に其為のものである。信者は今之を行ひて世に神の国の何たる乎を示すべきである。基督信者の生涯は神の国証明の為の生涯である。      
 内村鑑三 昭和4年12月10日『聖書之研究』353号より抜粋

バックナンバーはこちら HOME