2014年2月2日 望みの錨

真正の兄弟
…東洋道徳は血縁に依る道徳である、即ち東洋人に取ては直接に血を分けた者が父母であり、兄弟であり、親戚であるのであつて、其他の者は総て他人である…。然しながら基督教は之とは全く反対して居る、基督教は霊魂を土台として作つた家族制度を伝ふる者である、其教ゆる所に依れば我の真正の兄弟とは我と胎を共にしたる者にあらずして、我と生命の主を共にする者であるとの事である、霊魂は直接に神が造り給ふた者であるから、霊魂の関係は肉体の関係よりも迥(はる)かに深いものである、
…斯(か)く云ひて勿論肉の関係を度外視せよと云ふのではない、肉の関係とて矢張り神に依て定められたものであるから、吾等は之を大切に守らなければならない、イエスが死する前に其母をヨハネに委(ゆだ)ねられたやうに、吾等は吾等の力の範囲内に於て吾等の血肉に対して出来得る丈けの義務を尽くさなければならない…。
 肉の兄弟姉妹を棄る事は辛い事であるが、然し其報賞(むくひ)は実に大なる者である、…吾等は此世に於ても亦(また)百倍の霊の兄弟姉妹を獲るに至るのである、三人又は四人の兄弟姉妹を棄る報賞として五大洲に跨(また)がる主にある総の霊の友を我が兄弟姉妹として有(も)つに至るのである、其中には勿論日本人もあれば支那人もある、欧羅(ヨーロッパ)人もあれば亜米利加(アメリカ)人もある、グラツドストーンのやうな政治家をも主と共にあるが故に我兄弟と呼ぶ事が出来るやうに成る、総て主を信ずる婦人は最も深い意味に於て我が真正の姉妹となる、又今人にのみ止まらない、過去の人で、アブラハムも、ダビデも、イザヤも、エレミヤも、パウロも、ペテロも、ヨハネも、ダンテも、ルーテルも、ウエスレーも、皆同一の主より同一の生命を引く者なるが故に我が兄弟となるのである、…基督に在て四海皆な真個の兄弟となり、古今皆な真個の姉妹となる、何(な)んと嬉(うれし)い事ではない乎(か)。
 体(からだ)一つ霊(みたま)一つ主一つ信仰一つバプテスマ一つ、是を以て総て生活(いき)る者総て眠りし者が主に在て繋(つな)がり、一つの大なる家族を作て永久に主を讃美するのである、然らば吾等何をか歎(なげ)かん、信仰のために肉の兄弟を失ふに至る事は惨は惨なりと雖(いえど)も、主は此損失を償ふて余りあるの利得を吾等に与へ給ふ、吾等は決して淋しく感じてはならない、吾等は主に在て深く互に相愛し、以て主の聖旨(みこころ)を成さなければならない。
 内村鑑三全集10 1902(明治35)年8月 より

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