2014年6月15日 望みの錨

自分を愛することは、自己中心ではない

 自分を愛することは、自己中心とは異なる。自己中心とは、欲しいものを、欲しいときに、欲しいだけ、自分のやり方で手に入れようとすることである。一方、自分を愛するとは、自分自身を信じることであり、自制力があり、自分を赦し、自分を受け入れることである。
 人から必要とされた時、信頼された時、誠実であった時、自分に誇りを感じた時、そして、神が自分自身を通して働かれる時、人は正しい自己愛を感じる。ところが、正しく自分を愛せない場合に、人は金や物質的なもので自分の存在を主張し、自己中心的になってしまう。
 もし、自分に信頼を寄せる人が、一人もいなかったらどうであろう。その人には、否定的な自己像しか育たない。「もし、神が自分を嫌っておられるのなら、自分には価値がなく、もはや自分を愛することなど出来ない」ということになる。しかし、神はキリストの十字架で人の罪を贖われるほど、人を愛されておられることを知ったとき、人は生まれ変わる(ヨハネ3:16「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」)。キリストの愛に応えるように、神に期待されていることを知ったとき、人はその神からの信頼に応えようとする。又、キリストが心の中に住まわれるのだから、自分も素晴らしい人間になれる、人にもこの愛を分け与えることが使命なのだ、という確信で満たされる。
 自己中心を否定することは、自己を消滅させることではない。それは、自分の考えに頼るのではなく、神の御心を求めて生きることなのだ。神と人を愛するために、失敗を恐れずに積極的な目標を立てて何かを達成することが、聖書的な自己否定である。それは、ただ漠然として、何もせず、社会のいいなりになったり、他人のこの世的な利益のために利用されたりするようなこととは異なる。
 ロバート・シューラー

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