2014年6月8日 望みの錨

 キリストは、十字架の死を遂げることで、魂が肉体から離れ、いつでも私たちと共におられることを可能とした。キリストは肉体をとっておられた間は、一度に一箇所にしかいることが出来なかった。ところが、主イエスは、地上での肉体を離れることで、天に昇られ、そこから聖霊という形で、私たち一人一人の中に住まわれることが出来るようになったのだ。
 コリント第一15章42〜43節「死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです」とある。死後与えられる復活の命は、時空に支配されない素晴らしいものなのだ。主イエスは、世界中の、どんな人種、どんな国、どんな町にいる人の魂にも住まわれ、人の心、精神、頭脳に働きかけられる。主はたった今、私たちの魂にメッセージを送っておられる。
 私たちの魂は、神からの霊的な信号を、発想、衝動、気分(ムード)といった形で、受信するように造られている。キリストは今、この瞬間にも、私たちにメッセージを送ることで忙しくしておられる。へりくだり、前向きに発想する時、私たちは御声を聞くことが出来る。それに耳を傾け、それに応えよう。そのとき、キリストは私たちの中に住まわれる。
 イエス・キリストを受け入れ、自分の思い、感情、行動に介入して頂くとき、
1)自分自身が衝撃を受けるような(素晴らしい)言葉を発するようになる。「本当に私がそんなことを言ったの?」と。
2)自分を驚かせるような発想が与えられる。「本当に私がそんなことを思いついたの?」
3)かつては構いもしなかった人のことを配慮する強い気持ちが生まれる。それを「自分らしくもない」と告白するであろう。
4)不幸な人たちを助け、自分の悪い習慣を変えようとする衝動が突然起こり、キリストが内面に生きておられることを実感し始める。
         Robert H. Schuller, Hours of Powerより

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