2014年9月7日 望みの錨

自分は正しい、これでいいのだと思おうとするから、つらくなる

 (めぐみさんが行方不明になった当時)…私はまた家でひとり寂しく、冷たい雪の降る空を見上げていました。「めぐみちゃんは、どこにいるのだろう。あの海の中で藻くずになって消えてしまったのかしら。あの山のどこかに埋められたのかしら。ほんとうにどんなになってしまったのか」やはり、思いはいつもめぐみのことばかりです。
 そのような時、ふと、聖書を手に取ったのです。「そう言えば、ヨブ記から読んだらと言われたような……」と、その場所を探し出しました。ヨブという人は信仰篤く正しい人であったのに、子どもたちをいっぺんに全部亡くし、家畜をなくし、全ての財産をなくし、自分もひどい皮膚病にかかってしまいます。こんなにまじめに暮らしてきた人であったのに、どうして次から次へと、たたきのめされるくらいの苦難に見舞われるのだろうかと思いました。あまりの悲惨さに、時には自分が生まれたことを呪ったり、神を恨んだりすることばも発しますが、最後まできちんと神に目を向ける姿勢を崩さずに、苦難に打ちかっていくというお話でした。
 「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」(ヨブ1・21)ヨブ記のこのことばに、私は非常に引きつけられました。人の生も死も神様の御手の中にあって、神様が「今があなたの時ですよ」と言われたら、一瞬にして命が終わるかもしれないし、「あなたにはまだすることがある」と言われれば、どんなに苦痛があっても生きて、この世でご用をさせていただくのかもしれないのです。
 結局、自分は正しいのだ、これでいいのだと思おうとするから、つらくなったり、わが身を哀れんだりしていたのではないかと思いました。自分の努力で何でもできると思い、それなりに正しい行動と生活をすれば達成感があると思っていた私の小さな考えとはまったく違う、神様の視点というものがあると教えられたのです。さらに読み進むと、このようなことばがありました。「あなたは神の深さを見抜くことができようか。全能者の極限を見つけることができようか」(ヨブ11・7−8)このことばに、人間の力では及ばない、深く大いなるものを感じたのです。全能者である神様は、人間の良いも悪いも全部引っくるめて、たましいの底まで見通しておられることを教えられました。それは、これまで聞いて育った日本古来の「神」や、八百万(やおよろず)の「神」ではありませんでした。私の知らない何か、大きなものが関わっていると知らされたのです。   
 横田早紀江『愛は、あきらめない』(いのちのことば社)より

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