2015年10月4日 望みの錨

 

 魂が聖霊で満たされ、心が健全でいるためには、聖日礼拝に加え、日々祈り、聖書を読むディボーション(個人的礼拝)が必要です。ディボーションは、この世からの否定的な入力を一掃し、信仰による前向きな入力をする時間です。聖霊の導きにより、新しい発想が与えられ、使命を見出し、「神と人とを愛する」(マタイ22章)器となるよう、自分を備える時間です。
 祈りの本質は、神に願いを叶えさせることではありません。私たちが、神の祝福を受けるにふさわしい者となれるように、へりくだることです。もちろん、ピリピ人への手紙4章6節に「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」とあるように、最善を賜って下さる神への信頼を表わすために、願い事を申し上げることは大切です。しかし、主イエスが、「わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように」(マタイ26章39節)と祈られたように、祈りの基本は、御声を聞くことです。
 米国のトニー・カンポーロ牧師は毎朝、起きて活動する前に十五分から三十分、横になったまま、心を神に向けるそうです。その間、何も言わずに、主の霊に入っていただく時間としています。否定的な思いが入りそうになると、主イエスの御名を繰り返し述べるのです。御名には、悪霊を追い出す力があるからです(マタイ7章22節)。これが彼の力の源であり、祈りの中心です。
 ディボーションを、願い事を並べ立てる時間にすれば、きりがなく、そのうち疲れてしまうでしょう。祈る前から私たちの必要をご存じな天の父なる神さまにすべてをお委ねし、御声を聞く時間としましょう。            
 「いのちのことば」2004年1月号より 執筆・佐藤 順

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