2015年11月15日 望みの錨

 

 悪魔に相当するヘブル語はサタンであって、「敵」を意味し、キリストの最大の敵(マタイ13:28「主人は、『敵の仕業だ』と言った」)がサタンである。
 サタンは、神の教えの成長を妨げる者(マルコ4:15)、偽り(使徒5:3)、殺人の扇動者(ヨハネ13:27)、絶えず神と人とを引き離そうとする(ペトロ第一5:8)。そんな悪魔が実在するかしないかは、悪魔の力を体験して初めてこれを知る事ができる。実在せずただ人間の中の罪性を人格化して悪魔と言うに過ぎない、と唱える人は、まだ悪魔の力を経験しない人の言うことなのだ。人間は、完全なる神の愛に触れた時に、自分に価値が生まれる。従って、神と離れると惨めな生活が待っている。
 悪魔の本質的な起源は不明であって、聖書はこれについて好奇心を満足させようとはしない。ただ堕落した天の使いではないかと想像されている(ヨハネ黙示録12章)。悪魔はある範囲の自由を許され、神の子をすら誘う事ができるが、結局において神の支配下にあって神と対抗することはできない。ただ神に許された範囲において悪魔は人を試み、これを神より引き離そうとしている(ヨブ1:12、2:6)。
 サタンの攻撃に遭ったとき、サタンとは自分で戦おうとしないで、神に委ねなさい、とキリストは教えられた(マタイ4:7「そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた」)その信仰に生きる者は、危機から救われることを知っている。それが、イエス様が私たちにしてくださることなのだ。

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