2015年12月20日 望みの錨

 

 論語は「学んでしかして時にこれを習う、またよろこばしからずや」をもって始まり、法華経、阿弥陀経、太平記、みな相応の美辞をもって始まる。
 しかるにひとり新約聖書は「アブラハムの子にしてダビデの子なるイエス・キリストの系図」といいて発音しがたき人名の羅列をもって始まる。はたしてしからば新約聖書は、無味乾燥、読むにたえざる書ならざるか。
 余はこれに答えていう、「まことにしかり」と。砂礫(されき)もこれを顕微鏡の下にしらべてみれば、その中に珠玉(しゅぎょく)の美を見るがごとく、マタイ伝第一章も深くこれをきわむれば、まことに神の真理を伝うるものである。
 系図は伝記である。伝記は歴史である。系図をもって始まりし聖書は歴史的事実である。系図をもって始まる書は信頼するに足る。これ詩でもない。歌でもない。哲学でもない。もちろん小説でもない。かざらざる事実ありのままの歴史である。 

(内村鑑三『聖書之研究』「イエスの系図について」1919年1月より抜粋)

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