2015年12月20日 望みの錨

 

年末の感謝 大正2年12月10日

 

『聖書之研究』161号 内村鑑三 (抜粋)
 年末に際し私が神に対して感謝したい事はたくさんある。しかし、その内で、私が最も感謝したい事は、私の今日までの生涯が、自分が欲求した通りでなかった事である。もし自分の生涯が、自分の願いどおりであったならば、私は決して今日あるような者でなかった事は何よりも明らかである。
 もし、自分の生涯が自分の欲求どおりであったならば、私は今ごろは物質的にははるかに富み、社交的にははるかに高くあったであろう。多分、博士号を持ち、高等官とかいう肩書きをもって多少世間に幅を利かしていたであろう。しかし、反対に自分は今日あるように神と親しくなかったであろう。またキリストの心を知ることにおいて浅く、聖書は解からず、ただ経済であるとか、殖産であるとか、外交であるとかいうことのみを考え、かつ語って、非常につまらない日を送っていたであろう。
 もし今日までの私の生涯が自分の計画した通りであったならば、自分の受ける幸福は世の人のうらやむ幸福であって、決して不幸な人を喜ばすような幸福ではなかったであろう。もし神がことごとく私の気まま勝手な祈りを聞き入れて下さったならば、私は高ぶった、いたわる心のない嫌われるような、憎まれるような存在であっただろう。それだけでなく、50才を越えた現在、今ごろは人生に飽きてしまい、しきりに引退することを求め、詩歌や自然を友にして、静かに一生を終われれば、などという、意気地のない思いに襲われていたであろう。
 しかし、感謝すべきだ。神は私の欲求をしりぞけ、私の企みを壊された。私は幾度となく失望に沈んだ。しかし恵の父は、私を導かれ、今日の姿に至らせられた。「主は我を緑の牧場に伏させ、憩いのみぎわに」というのは、今のわたしの歌である。私の聖なる牧者は鞭をもって追い立てられ、無理やりに私を緑の牧場に追い込まれた。私はこのことを思って感謝に溢れている。

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