2015年4月19日 望みの錨

 私がほしいのは、やすらぎだろうか、それとも葛藤だろうか? 望んでいるのがやすらぎならば、私は、与えることだけ、気にかけます。葛藤を望んでいるのなら、何かを得ようと努力したり、なぜ私がそれを手に入れられないかを心配しつづけるでしょう。すべてのかかわりにおいて、自分にこう問いかけましょう。このかかわりは、私自身や相手に、愛を与えているだろうか? (この文章は毎日読みましょう)
 誰かを責めるたびに、私は罪の意識や、私なんてという想いを強めています。まわりを許さなければ、自分も許すことはできません。過去に誰かが私に何をしたか、私が何をしたかは、問題ではありません。ただ許すこと。罪やおそれから完全に解放されます。今日、私は、私自身と他の人に対しての、誤った見方を、すべて手放すことをのぞみます。ひとつの心になるでしょう。そして、言います。私は、あなたと私自身を、本当の許しの光に照らします。(マタイ18:22「イエスは言われた。『あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。』」)  
 私たちが肉体的感覚をとおして感じとれるものは、現実についての、限定されていて、ゆがんだ見方にすぎない。
 私と一緒にいる誰であろうと、裁かれるためではなく、愛されるためにここにいます。愛だけを示しなさい。それがあなた自身なのだから。
ジェラルド・G・ジャンポルスキー『癒しとやすらぎのミニ・コース』(春秋社)

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