2015年4月5日 望みの錨

キリストの復活は事実か?

 イエスは十字架で気絶していただけにすぎないという意見がある。しかし、ローマ兵はイエスを生かしたままで十字架から降ろすようなことはしない。そんなことをしたら、自分たちの生命を危険にさらすことになる。また、イエスは事前のむち打ち刑で背中にかなりの傷を負っている。それではふつうに話をしたり歩いたりできるはずがない。
 弟子たちがイエスの遺体を盗んで、復活したと嘘を広めたという意見もある。しかし、捕らえられれば自分たちも十字架につけられると恐れをなした弟子たちは、イエスの弟子であることを隠し、離散していた。そんな臆病者の弟子たちが、命を掛けてイエスの遺体を盗むことなど考えられない。彼らは復活のイエスと出会って、勇気を得たのだ。
 パウロがコリント人への手紙第一を書いたのは紀元55〜57年の間である。そこには、「三日目によみがえられた」とある。この信条は十字架でイエスが死んでから20年以内にはすでに使われていたことになる。通常、作り話を広めるには、事実を目撃した人たちが死んでから作られるものである。コリント第一15章には、イエスが五百人以上の前に姿を現したという記述がある。パウロは明らかにこれらの人々と近い関係にあった。彼は、「その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます」と書いている。パウロは人々に、自分の書いたことを調べてみてくれてかまわないと言っているのだ。
 イエスはわざと裏切り者の手に落ちて行き、逮捕されるときも抵抗せず、裁判でも自分を弁護していない。人間を救う道は十字架しかないことを理解しておられたからこそ、自ら進んで、処刑された。なぜであろうか。答えは「愛のため」の一言に尽きる。
リー・ストロベル『キリストの復活は事実か?』(いのちのことば社)より

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