2016年1月10日 望みの錨

 

 自分を知る、最も大切なことは、自分をすて切ることなのである。ひとのことが気になったり、不安になったり、不満になったり、いらいらしたり、腹を立てたり、絶望したり、くよくよするのは、みんな自己中心的な気もちからくるのであって、始終こんな状態でいたら、決して自分のことが、わかるはずはないのである。
 自分を考えずに、ひとのことを思い、自分がひとのために働いて、こうすることができるのは、幸せだなと思う時、本当の自分になる。結局、自分を知ること、自分に与えられているものを知ることは、けんそんな心、ゆたかな心、自分と同じように、人のことを思う心になることである。[ヨハネ12:24〜25 「(24)一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。(25)自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」]
 昭和十二年頃、日中戦争がおこり、日本は軍国主義、独裁主義一色の時代であった。その頃帝国大学(今の東京大学)の教授だった矢内原忠雄は、そのような日本政府をきびしく批判した。政府は怒って、そんな奴に帝大教授をさせておくわけにはいかん、といって、彼を辞職させた。彼は、学生との別れの最後の講演の中で、こういった。「身体ばっかりふとって、魂のやせた人間を軽蔑する。どうか諸君は、そんな人間にならないでほしい」
 身体ばっかりふとって、というのは、物質的な欲の深い、自己中心的な人、そういう人は、ひとのことなどてんでかえりみず、ひとの気もちを思いやることもなく、ゆるすといったゆたかな心をもたない、やせた魂、貧しい魂をもった人である。そういう人には、自分というものが、なかなかわからない。        
   高見澤潤子『愛の重さ 新しい女性の生き方』(玉川選書)より

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