2016年2月14日 望みの錨

 

 次に掲げるのは、1913年、斎藤宗次郎が自分のことを「一労働青年活動の姿」として日記に綴ったものである。 

 夏シャツ、夏ズボンをまとい、泥濘(でいねい)の道路を東西南北に疾駆(しっく)して、新聞を配達する青年がある。キリストのために働いているものと知っている。
 しばしばキリストを思うては、顔に莞(かん)爾(じ)〔笑み〕の漣波(さざなみ)をたたえる。手にも足にも英気はみなぎっている。路上の人々を見て、それぞれに教訓を学ぶ。かつ彼らを尊敬する。愛撫(あいぶ)する。同情する。そして購読者に対して、一種和親をもってするの心をもって接する。新たに配達を乞う者あれば、主の御導きを感謝する。事情のために購読中止を乞う者あれば、また神意によるものとして快諾(かいだく)する。
 南街を走り尽くして残壕(ざんごう)の峠小径(こみち)を登るや、足をとめて神に祈?(きとう)を捧げる。晴れた秋日和(びより)などには、左右の枯葉の蔭(かげ)に、細き虫の音は彼に慰安の音ずれを通じる。かくの如(ごと)き労働は死に至るまで連続するも、倦(う)むことを知らぬであろう。一歩、一歩は、それだけ天国に近付く確信と希望となって、はじめて真の勇気と歓喜とはあるのである。
 (山本泰次郎『内村鑑三とひとりの弟子』321頁)
 雜賀(さいか)信行(のぶゆき)『宮沢賢治とクリスチャン 花巻篇』(雜賀編集工房)より

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