2016年2月28日 望みの錨

 

感情ではなく魂に響く御声

 神がいなければ、すべてが許可されてしまう。ドストエフスキーの言葉を引用するならば、わたしたちは今日、善悪の基準としての神が死につつある時代に生きている。そして、その基準はフィーリングというものに置き換えられた。「わたしが正しいと感じるだろうか? 間違っていると感じているだろうか?」と。これが、米国でみられる、道徳的なカオス(大混乱、無秩序)を引き起こしている。
 悪の要因は貧困だと言われるが、実は、道徳的貧困がその原因である。大恐慌時代、絶望すると人はビルから飛び降りたりしたが、今日、人は絶望すると、他人に手を掛けたりする。悪の要因は、基準の欠如なのだ。「殺してはならない」(出エジプト記20章13節)と言われた神を知ることだけが、この世から殺人を消し去る。この考え方をエリート層は笑うかもしれない。しかし、神が「殺してはならない」と言われなかったとしたら、どうして殺人がいけないと言えようか。
 わたしたちはその後遺症を見てきた。20世紀は、人類史上、どの時代よりも流血、奴隷制、拷問、邪悪が行われた。それは、神を否定した最初の世紀であった。
 もし、キリスト教がなくなれば、善いボーイスカウトはいなくなる。ナチズムや共産主義が台頭する。米国でキリスト教が衰退するならば、何によってその空白が埋められるだろうか。 デニス・プレーガー

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