2016年4月10日 望みの錨

 

「アメリカ的またはイギリス的形式のキリスト教は―その〈創始者〉の恩恵と純粋よりもむしろアングロサクソン流の気まぐれや空想を伴っている―〈武士道〉の幹に接木するには貧弱な接芽(つぎめ)である。新しい信仰の伝播者は、幹も、根も、枝もすっかり根こそぎにして、〈福音〉の種をその惨害をうけた荒土にまくべきであろうか。こんな思い切った方法も、可能かもしれない―ハワイでなら。そこでは戦闘的教会は、富そのものを略奪して集め、先住民種族を絶滅させるのに完全な成功を収めたと、つよく主張されている。しかしこんなやり方は、日本では全く断々平として不可能である。−いな、それはイエスご自身地上にその王国を建てるに当たって、決して採用されなかった方法である。」 
新渡戸稲造の名著『武士道』(1900)の第十六章「武士道は今なお生きているのか」より

「武士道とキリスト教」内村鑑三 
 「武士道は日本国最善の産物である。しかしながら武士道そのものに日本を救うの能力は無い。武士道の台木にキリスト教を接いだもの、そのものは世界最善の産物であって、これに、日本国のみならず全世界を救うの能力がある。今やキリスト教は欧州において滅びつつある。そして物質主義にとらわれたる米国に、これを復活するの能力が無い。ここにおいてか神は日本国に、その最善を献じて彼の聖業を助くべく求めたまいつつある。日本国の歴史に、深い世界的の意義があった。神は二千年の長きにわたり、世界目下の状態に応ぜんがために、日本国において武士道を完成したまいつつあったのである。世界はつまりキリスト教によって救わるるのである。しかも武士道の上に接木されたるキリスト教によって救わるるのである。」    1916年1月『聖書之研究』    
 佐藤全弘『新渡戸稲造と歩んだ道』(教文館)

                                            

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