2016年9月4日 望みの錨

「霊と真による礼拝

 箱舟から出て来たノアはまず、主のために祭壇を築き、全焼のいけにえを捧げた(創世記八章十九、二十)。即ち、まず主を礼拝している。世の中では「先立つものはお金」と言われるが、すべてに先立つものは、神である。なぜなら全てのことは、神から発し、神によって成り、神に至るからである。真の神礼拝を知らない人は、何か代用品を使って偶像礼拝をせざるを得ない。
 「礼拝」を意味する「ワーシップ」は、「ワースシップ」という古い英語から来ており、偉大な神の価値を畏敬する思いと態度を意味している。「ワース(worth)」とは、「価値がある、値打ちがある」という意味である。人間は目に見えるものに拠り頼む傾向があるが、人間にとって最も価値あることは、目に見えない霊なる創造主、贖(あがな)い主なる神を礼拝することであり、この方を礼拝することが、人生のすべての良いこと、価値あることの基(もとい)、土台となる。現代の無秩序と価値観の混乱の原因は、人間がこの創造主を敬わないところにある。
 「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」(ヨハネ四章二四)と主イエスは教えられた。霊とは、神の御霊(聖霊)である。中身のない、形式化した礼拝とならないためには、各自の魂が聖霊に満たされて、神を礼拝しなければならない。聖霊に満たされた時、魂の働き(愛すること、思いつくこと、ひらめくこと、夢を見ること、良心の働きをすること)は、健全となるからである。そして、霊と真とを切り離すことはできない。真とは真理、即ち、イエス様の十字架による完全な贖いに拠り頼むことである。人間の戒めや教え、肉体の苦行など、人間の行いや業を誇りとすることではない。
 藤尾英二郎先生は、「礼拝に出ると、どういう訳か分からないが、とにかく一週間は行かなくともよい所へは行かなくて済み、しなくともよい事はしなくて済み、凡(すべ)ての途(みち)で守られている。次の礼拝に出るとまた、一週間は主の御手に支えられている。これからの後の生涯はどういう風に展開されるか分からないけれど、礼拝第一、主キリスト様第一の信仰で過して行きたい」と証ししておられる。

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