2017年10月29日 望みの錨

21世紀のサムライ

 読者はここで尋ねられるかもしれない。どこにいったい、21世紀のサムライがいるのだ、と。確かに、街角で声を張り上げたり、電車の中でとなりの席からいきなり信仰の話題を持ち出してきたり、ということはないだろう。
 しかし彼らは、その振る舞いによってきっと読者の注意を引くことだろう。学校教師、大学教授、研究者、銀行家、建築家、ケーキ職人、原子力技師、言語学者、芸術家、ファミリー・カウンセラー、牧師、環境問題専門家、設計士、大使館員、国家(地方)公務員、対外援助スタッフ、企業家など…。彼らは日本各所に散らばって働いている。私はその彼らの何人かを実際、知っている。
21世紀のサムライは社会に奉仕するため、「自己」への束縛から解き放たれている。評判にも対立の構図にも、個人的な損得勘定にも影響を受けない。逆に、与えられた仕事に自らの身体を、知力を、そして精神を惜しみなく捧げることができる。その生活は他人の生活と分かちがたく結びついている。他人と悩みや喜びを共有することに、意味を置いているのだ。(使徒言行録20:35 あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」) 
 こうした生き方が、21世紀のサムライの究極の目的や方向を示している。神の性質にあずかることで、彼ら21世紀のサムライに一つの特質が与えられる。それは永続する特質であり、しかも時間的というよりは、深みとしての特質である。彼らの生活は高い意義をもち、真の美にとり囲まれ、普遍的な交わりがつくられて、尽きることのない深い喜びと生きがいが、この世で実現していくのである。
  チャールズ・コーウィン『21世紀のサムライ』(築地書館)より

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