2017年6月18日 望みの錨

アメリカとキリスト教

(「えくれしあ」1967年2月号 佐藤陽二牧師が米国在住中に執筆)
 キリスト教はアメリカの宗教で、それが日本に来たのであると、ひとから言われ、子どもの頃は、そう考えていたことがある。それは大きな間違いである。しかし、今でも、日本では、そう考えている人が多い。
 もともとキリスト教は、アジアの地を足場にして生まれたものである。それが、西まわりをして、米国を通って、日本に伝えられたに過ぎない。私の祖父母などは、仙台から、わざわざワラジ掛けで伝道に来た、巨漢ノッス宣教師から、キリスト教の話を学んだという。また叔母や姉は、アキスリング博士から教えられたはずである。今、私たちが出席している教会は、生前、同博士が属していた教会であるという。これは、最近、知ったことであるが。
 このようなことからも分かるように、日本人は、いつの間にか、キリスト教は、アメリカのものであると考えるようになった。その国民感情を打ち破ろうとして、日本のキリスト教界は、宣教師の悪口を言い過ぎた時代があったように思われる。今でもそのような点がある。しかし、米国に来てみると、キリスト教は、アメリカの宗教でないことがよく分かる。アメリカはキリストを信じている国ではないのである。
 だから米国のキリスト者と教会とは、外国伝道とは別に、ホーム・ミッション(国内伝道)と言って、一生懸命、米国人に伝道しようとしている。これは日本にいた時には、よく分からないことであった。日本のキリスト教だけが、生き生きとして、良いものであるように考えていると、やがておくれをとり、日本のキリスト教界は、昔の帝国海軍の、二の舞を演ずるであろう。

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