2018年1月7日 望みの錨

新年と新事業

 我等に取りては新年必ずしも新ではない、旧年必ずしも旧ではない、霊是れ新である、肉是れ旧である、キリスト是れ新である、斯世(このよ)是れ旧である、 キリストは昨日も今日(きょう)も永久に新である、
 年が変はれば之を新年と称し、政府が変はれば之を新政府と呼ぶ、古き同じ政党も其の名が変はれば新政党として世に迎へらる、然し新(しん)ではなく変(へん)である。新の何たる乎(か)を知らざる彼等は名称と服装とを変ふるより外(ほか)に新に入るの途(みち)を知らない。
 茲(ここ)に於てか真の新なる者は之を斯世より望む事は出来ない、斯世は何時(いつ)までも旧である。サタンと呼ばるる者、全世界の人を惑はす老蛇の支配を受くる者である(黙示録12章9節)、新は此老蛇と絶つにあらざれば来らない、
 人は新たに生るるにあらざれば神の国に入ること能(あた)はず、一人の人が キリストを信ずる時に真の革新は始まるのである、其他の革新はすべて虚偽の革新である。
      内村鑑三 明治41年1月10日『聖書之研究』95号より抜粋

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