2017年4月22日 望みの錨

「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」
マタイ5章9節

 平和は、ギリシャ語でアイレーネ、ヘブル語のシャロームである。平和とは、単に争いがないということではなく、また、内面的な平安だけを指すのでもない。平和(アイレーネ)とは、人間の最高の幸福を作りだす、あらゆる繁栄を意味する。つまり、心も体も魂も満ち足りている状態である。
 心と体との関係では、一般によく「健全なる精神は健全なる身体に宿る」と言われる。この元となったのは、古代ローマの風刺詩人・弁護士であったユウェナリスの言葉であるが、原文に忠実に訳すと、「心身ともに健康であることを祈るべきである」というものである。身体が健全ならば精神も自ずと健全になる、として定着している慣用句は、ユウェナリスの主張とは全く違うものなのだ。これは、ナチス・ドイツを始め、各国が、軍国主義を推し進めるために、身体を鍛えることによってのみ健全な精神が得られるかのような言葉へと意図的に改ざんした結果、誤った意味で広まったのだ。
人の心は、魂が神と結びついていないと、健全とはならない。魂とは、人の本質的な存在であるが、そこは霊的な事柄が問題となる領域である。霊的な事柄とは、生きる意味、罪や死の問題など、人が人間らしく生きる上でどうしても解決しなければならない事である。これら魂の問題が、キリストの十字架によって解決していなければ、人の心は健やかでなくなるのだ。
平和はつくり出すものであって、単に平和を愛するだけでは、祝されない。平和は、問題を回避するだけでなく、問題と取り組み、それを克服することによって生まれるのだ。「神の子」というのは、典型的なヘブル語の表現である。ヘブル語は形容詞が少ないので、何かを形容する場合に「?の子」という表現をした。そこで、「神の子と呼ばれるであろう」と言うとき、それは、「神のような働きをするであろう」という意味になる。平和をつくり出す人は、平和の神がなされるその業(わざ)に  はげんでいる人なのだ。

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