2018年6月10日 望みの錨

(佐藤陽二の)神学・説教に関する語録

     大橋 弘『佐藤陽二の神学』(アンカークロス出版)より抜粋
(1)「牧師は説教によって成長する」
 牧師の教育は、説教に始まり、説教におわる。それは、み言葉を語ることによって、なによりも神からの教育(聖霊による教育)、訓練を受けるからである。自らも聖書に学び、牧会のなかで信徒の声を聞き、学ぶ。この学びと努力によって、説教者として、また牧会者としての牧師が成長するのである。よい信徒のいない教会では、よい牧師は育たない。また、学びのための投資を惜しんではならない。
(2)「神から与えられたものを語る」
 謙遜に語ること。思い上がって説教をしないこと。人は得るものがないところには来ない。疲れるだけなら行かなくなる。それ故、説教の準備には時間がかかることを知るべきである。商いをする人が、準備や用意をすることに時間をかけているが、そのことに学ぶべきである。
(6)「品位を落とすような話をさける。」
 礼拝には、そこへ集う者の期待と思いとがある。当然、礼拝にふさわしい品位、説教者の言動というものが求められているのである。
(7)「恵みと信仰ばかりを語っていると、倫理がなくなる。」
 許されることを説くだけであってはならない。厳しさ、審きを語ることによって、信仰は生きたものとなるのである。神の子とされたのは、倫理性が大切であるということである。
(13)「神の国は、義と平和、聖霊によるよろこびである。」
神の国を、彼岸の国としてではなく、神の支配の現実として、義と平和、聖霊によるよろこびを語ることが大切である。
(15)「神が教会をつくると、隣りに悪魔が会堂を建てるという」
  ドイツの諺である。証のある説教を心がけ、律法化と形式化による、つまずきの起こることをさけよう。
(38)「説教者は、おみやげをもたせて帰すことを心がけてほしい。」
  礼拝に出席して、疲れた、説教はつまらなかった、という思いにさせて帰すなら、それは、お荷物を持たせて帰すことである。お荷物はいけない。感謝とよろこび、平安と慰め、勇気というおみやげを持たせて帰さなければならない。このおみやげが、[神に栄光を帰す]ことにつながるのである。

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