2019年御翼11月号その3

         

アパルトヘイトとの闘い~ネルソン・マンデラ

 南アフリカ共和国の人種隔離政策『アパルトヘイト』を撤廃し、南アメリカ初の黒人大統領となったネルソン・マンデラは、ミッション系の学校に通い、洗礼を受けたクリスチャンである。アパルトヘイトとは、アフリカーンス語で「分離、隔離」を意味する言葉で、特に南アフリカ共和国における白人と非白人との間の人種隔離政策のことを指す。ネルソン・マンデラは、弁護士となり、政治活動を行うようになってからは、信仰を公には語らない。宗教を理由に、国が分断することを恐れての事である。しかし、常にマンデラと祈っていた聖職者は、彼は厚い信仰の持ち主であると証言している。「教会の存在なしに、私はこれらのことを成し遂げられなかったであろう」とマンデラも言う。
 マンデラは、アパルトヘイトの反対運動を始めると、国家反逆罪の罪で終身刑となる。しかし彼は、人種差別撤廃の夢をあきらめなかった。1990年、経済制裁によりマンデラは27年間の投獄から解放された。そして人種隔離政策は撤廃され、マンデラは大統領に就任した。神は27年間という刑務所での時間を、マンデラが国の指導者として相応しい人間となるよう、成長の機会として用いられた。投獄前は険しかった彼の表情は、釈放されたときには、柔和になっていた。マンデラは、白人・黒人との対立や格差の是正を行うが、副大統領にはアパルトヘイト時代の白人の大統領を指名し、白人と手を取り合って、新しい国造りを始める。「なぜ白人を赦すのか」と、落胆する黒人たちにマンデラは、「人間の邪悪な面だけを見てはいけない。この世には、完全な悪人も完全な善人も存在しない」と言う。そして彼には、人は「良い人間だ」と信じて期待をかければかけるほど、本当により良い人間になっていくものだという信念があった。これはイエス様が弟子たちにとられた態度である。
 以下は、リチャード・ステンゲル『信念に生きる ネルソン・マンデラの行動哲学』からである。

 マンデラは毎週日曜日、礼拝のために刑務所を訪れるアンドレーシェフェタという牧師についても似たような見方をしていた。オランダ改革派教会から来ていたこの牧師は、アパルトヘイトは神による定めだ、という強い信念を持っていていた。「彼はとても侮蔑的で私たちを口汚く罵倒した」とマンデラは振り返る。…シェフェル牧師はマンデラと同志たちを、神が定めた秩序の破壊を企てる危険な犯罪集団だと見なしていた。…マンデラは…狂信的な信者というのは彼らが受けた教育が作り出す結果であると考えていた。…そして、犯罪者を悔い改め改宗させようと試みたシェフェル牧師に対して、マンデラは逆に、彼を悔い改めることを試みたのだ。
「そこで、我々は牧師に少しずつ私たちの考え方を理解してもらうように影響力を及ぼしていったのだ。私たちは常に、自分たちの戦いの目的を理解してもらおうと働きかけた。私たちが一体何者なのか。どうして刑務所にいるのか。何のために戦っているのかを理解してもらい、私たちのために説教をしてもらいたかったのだ」こうしてシェフェル牧師は、マンデラたちと親交を温めるまでになった。少なくともマンデラたちが何のために戦っているかを理解するようになっていった。牧師は、マンデラたちの支持者にはならなかったが、もはや敵ではなかった。マンデラは彼の考え方を変えることができたのだ。マンデラは、「アパルトヘイト体制を平和的に終結させて新しい民主的な南アフリカの礎を築いた」という理由でノーベル平和賞を受賞している。2013年、95歳で死去。


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