2020年御翼1月号その1

         

「ジングル・ベル」の作者 ―― ジェームズ・ピアポント

 ジェームズ・ピアポント(James Lord Pierpont 1822~1893)は牧師家庭に生まれたオルガニスト・作曲家で、世界でも最も歌われているクリスマス・ソング「ジングル・ベル」の作詞作曲者である。彼の父は奴隷制廃止を支持する牧師で、詩人でもあった。ピアポントは10歳で全寮制の学校に入るが、12月になるとソリ遊びをするのが楽しいと母に手紙を書いている。
 20代で結婚後、ゴールドラッシュのカリフォルニアに移住してビジネスを展開するが、火災に遭い商品が焼けて廃業、一八五六年、妻が34歳で他界する。その頃、兄が牧師となった教会へオルガニスト、聖歌隊の指揮者として赴任する。翌年の一八五七年、ピアポントは「ジングル・ベル」(オリジナルタイトルは、「One Horse Open Sleigh一頭立てのソリ」)を発表、その年に再婚している。彼は教会でオルガニストを務めながら、ミッション系の学校の音楽科主任となり、晩年までピアノの個人レッスンをした。
 「ジングル・ベル」の歌詞には宗教的な語句やクリスマスに対する言及はなく、若者たちが冬にソリで競争する様子を歌っている。言い伝えでは、教会学校の子どもたちが感謝祭で歌うために「一頭立てのソリ」として作詞・作曲された。それが大好評であったため、クリスマスでも歌われ、その後、時間と共に米国中、やがて全世界へ「ジングル・ベル」として広まった。だが、この言い伝えには疑問を抱く歴史家もいる。当時、ソリ遊びは若い男女がデートに出かけるためのもので、ピアポントによる原曲の詞にも、「若いうちに娘たちを誘い、雪景色の夜の中、ソリを飛ばしこの歌を歌おう」とある。これが教会学校で歌われるはずがないというのだ。しかし、真相は受け取る側に委ねられている。
 ここで私は、信仰的な解釈を提示する。火災でビジネスに失敗し、その直後には妻を亡くしたピアポントである。それから翌年再婚するまでの間に「ジングル・ベル」は発表されている。落ち込んでいても不思議ではない境遇で、こんなにも明るく希望に満ちたメロディーを書いたのだ。そして、再婚した妻と共に、教会でオルガニストとして終生神に仕えている。その根底には、キリストによる罪の赦しと復活の希望があることは明らかであろう。


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