2022年御翼10月号その2

 

命より大切なこと ―― 星野富弘

  
 星野富弘さんは1970年6月、中学校の体育教師となって僅か2ヶ月目(当時24歳)、体操部の部員を指導中、空中転回に失敗し、頸(けい)髄(ずい)損傷、肩から下が麻痺して動かなくなった。
 入院している富弘さんのところに、牧師となった大学の先輩が聖書を持ってきてくれた。富弘さんがへりくだった思いで聖書を読むと、「それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです」(Ⅰコリント 12・22)という言葉を見つける。神さまは、私のような者にも役割を与えて何かをさせようとしておられる、今の私の役割は、口で字を書くことなのかもしれない、と思うようになった。そして、神に謙遜に従って行こうと、入院中に洗礼を受ける。富弘さんは訓練の結果、口にくわえた筆で絵も描けるようになり、神の御業をあらわす草花を描き、詩を書き添えた。 

 木は、自分で動きまわることができない 
 神様が与えられたその場所で 
 精一杯枝を張り 
 許された高さまで 
 一生懸命伸びようとしている
 そんな木を 私は友達のように思っている ~星野富弘~

作品を集めて展覧会を開くと、詩を一生懸命書き写している人がいた。その後ろ姿を見ながら、富弘さんは思った。「私は今まで、人からしてもらうことばかりだったのに、あの人は今、私の書いたものから、何かを受けているのだ…。これから自分が何をしていったらよいのかが、うっすらと見えたような気がした」と。絵を見た何人かの人から、詩画集の出版や、雑誌に連載したいという話が出て、大きな希望と目標が与えられた。富弘さんは一九八一年に、定期的に見舞って世話をしてくれていたクリスチャン女性の渡辺さんと結婚し、魂が救われた喜びを人々に伝えている。「人を羨(うらや)んだり、憎んだり、許せなかったり、そういうみにくい自分を、忍耐強く許してくれる神の前にひざまずきたかった。キリストの『私の所へきなさい』という言葉に、素直についていきたいと思った。自分がイエス様に生かされて生きているんだということ、助けられたのだということを描けたらいいなと思って描いているんです」と富弘さんは言う。富弘さんの代表作の一つがこれである。

 いのちが一番大切だと思っていたころ、
 生きるのが苦しかった。
 いのちよりも大切なものがあると知った日、
 生きているのが嬉しかった。       ~星野富弘~

 富弘さんがここで言ういのちとは、人並みに自由にどこへでも行けて、何でもできる生活であろう。しかし、「本当の不自由とは身が動かないことではなく、過去に縛られた心の不自由である事を知りました」と富弘さんは言う。この世での体が不自由になっても、地上を去ったあと天国では永遠の命にふさわしい新しい体を与えてくださる愛なる神を知り、神の愛を分け与えることができる。魂が救われている喜びを伝えられる。それを知って生きることが一番大切なのだと知った日、不自由な体で生きているのが嬉しかったのだ。中学校の教師だった富弘さんは、この真理を中学生に知ってもらいたいという思いで描いているという。
 「怪我をしたおかげで自営業になった。定年がないどころか、やればやるほど奥が深くなる仕事が与えられている。好きなことでも職業になると嫌いになってしまうこともあります。でも私は、描けば描くほど次々にやりたくなってくる」と富弘さんは語る。
キリストに謙遜に従った時、主は私たちの生活を正しい方へと導かれるのだ。


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