2022年御翼8月号その1

 

未亡人となった安倍昭恵夫人に残された道は

 一昨日(七月八日)暗殺された安倍晋三元首相は、「戦後日本の呪縛を解き、日本を普通の国にしようと尽力されていた」政治家だったとのことである。未亡人となった昭恵夫人はカトリック系の女学院(聖心女子学院)出身で、森永製菓の創業者・森永太一郎の曾孫である。森永太一郎は、明治時代に渡米、菓子職人の技術を身に着け、日本で初めてキャラメルを製造販売した。太一郎は洋菓子と一緒に、米国で知ったキリストの福音を日本中の人に知ってもらいたいと、創業時、屋台の屋根には「キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来られた」(テモテへの手紙第一1章15節)の御言葉を書いた看板が打ち付けられていた。
 やがて箱入りのミルクキャラメルがヒット商品となり、全国的に有名になった太一郎の信仰は冷え切る。金が儲かって欲しい物は何でも手に入るようになると、彼は祈ることも神を礼拝することもなくなり、贅沢に明け暮れ、家庭も乱れ、家族は不幸のどん底にあった。太一郎の光と闇の二重生活は約30年続く。大正4年、妻セキが肋膜下膿瘍で死去(享年56)、苦労をかけた妻の死に、太一郎は一時もぬけの殻のようになり、アルコールに溺れた。しかし、妻が夢に出てきて太一郎をたしなめ、立ち直った。この時彼が詠んだ自戒の和歌がある。
   酒は毒、飲むな飲ますな笹の露 
一しずくだに、飲むな飲ますな
 妻の死を契機に、太一郎は自分の誤りを認め、神に立ち帰る。
昭和十年、70歳で社長の職を退いた後は、私邸の庭を開放し「森永ガーデン」という夏季教会学校を開き、子供たちに聖書の御言葉を教えた。また、私財を投じて「自動車宣伝隊」という伝道隊を結成し、自ら率いて北海道から沖縄までの全国の教会を巡り、神の愛を説いた。太一郎が語る説教は、いつも「我は罪人のかしらなり」という御言葉からであった。神よりも金銭を愛してしまった自分の罪と、こんな自分すら赦し、回復してくださった神の愛を証ししたのだった。
 京都の教会で、太一郎がキリストの罪の赦しを語ると、突然、一人の男が前に出てきて泣き出し、「私は人殺しです」と19年前の罪を告白した。太一郎がその男の手をしっかり握ると、男は「はればれとしました。警察に自首します」と言って去った。太一郎はその後何日もその男のために祈り続けたという。
 その曾孫の昭恵夫人は、居酒屋を経営するほどの酒豪だという。これを機に、曾祖父に倣い、キリストへの信仰に徹したならば、全国民に素晴らしい影響を及ぼせる立場に立たされている。


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