2022年御翼9月号その2

 

「内村鑑三の戦争と平和にかんする政治思想」

 戦争の問題は、聖書が言う人間の原罪を中心に考察しなければ、いくら考えても答えは出ない。同志社大学名誉教授の故・田畑 忍氏が、内村鑑三の「戦争と平和」に関して、論文を出しておられる。要点としては、(1)戦争は人間の力で止めることはできない、(2)キリストが再臨したときに、平和が訪れる、(3)福音を伝えて行くことが、真の平和への道である、となっている。

内村鑑三の戦争と平和にかんする政治思想(田畑 忍 同志社大学人文科研究所キリスト教社会問題研究会、1961年)より要約

 内村の平和論は、道徳論から出発し、利益論に及んでいる。曰く、「戦争は人を殺すことである、さうして人を殺すことは大罪悪である。そうして大罪悪を犯して、個人も国家も永久に利益をおさめ得ようはづはない」。「戦争の利益はその害毒を償ふに足りない、戦争の利益は強盗の利益である。これは盗みし者の一時の利益であって(もしこれをしも利益と称するを得ば)、彼と盗まれし者との永久の不利益である、盗みし者の道徳はこれがため堕落し、その結果として彼はつひに彼が剣を抜いて盗み得しものよりも数層倍のものを以て彼の罪悪を償はざるを得ざるに至る」。
 内村は、ヨーロッパ諸国家の大仕掛の国際戦争という現実に圧倒されて、…戦争は、人間が如何に努力して、廃止しようとしても、依然として益々さかんに行われる、人力によりては最早(もはや)これを止めることはできるものではない…と考えるにい たった。然かも、イザヤとともに彼は、戦争は神の大能の実現によって止むと言う信仰的論理に満たされている。即ち戦争は、「主イエス・キリストが栄光を以て天より顕はれ給ふ時にやみます、而してキリスト教の伝道なるものはこの時に応ずるための準備であります、この世の改良ではありません、人をしてキリスト降臨の時に備へしめんがためであります、而して戦争はキリスト再臨の確かなる徴侯であります、ゆえに私共はすべての方法をつくして、 この時にあたりて世の人にキリストの福音を伝へなければなりません」(『戦争と伝道』大正三年)。
 それ故彼が、戦争は、平和運動によっても、デモクラシーの発達によっても、社会主義の発達によっても、外交や国際連盟によっても、また美術工芸によっても、文明によっても止まないとするのは当然であって、彼は平和はただエホバの政治によって、キリストの再臨によってのみ来るものである、「是は神の定め給ひし世の審判者なるキリストの再臨を以て実現さるべきである」、此事に関して聖書の示す所は明白である、即ち聖書に「其剣を打かへて鋤となし其鎗(やり)を打かへて鎌となし国は国に向いて剣を拳げず戦争の事を再び学ばざるべし」(イザヤ 2・4) とあり、また「エホバは地の果までも戦争を廃めしめ、弓を折り戈(ほこ)を断ち戦車を火にて焼き給ふ」等とある(『戦争廃止に関する聖書の明示』大正六年) から、福音の宣伝が必要であると強調する。
 それ故、「平和とは何ぞ? 永遠変らざる事業に従事することである、陰府(よみ)の門を以てするも毀(こぼ)つこと能はざる事業に我が一生を委ねることである」(『平和とは何ぞ』大正三年)と言い、「神の恩恵我らに臨み、我らの心に大満足ありて、而して 生ずるものが真の平和である………平和はいかにして来るか、国際連盟とその大海軍とによって来らない、先づ神の救いにあづかりて罪を除かれ、我らの全心健康状態に復してすなわち平和は臨むのである、先づ神に栄光あり、その結果として地に救ひの来りしときに、すなわち平和は実現するのである」(『平和の到来』大正八年)、と言うのである。


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