矯風会 JWCTU

JWCTUとは世界クリスチャン女性禁酒同盟加盟団体(WCTU)の日本クリスチャン女性禁酒同盟です。

WCTUとは
 世界WCTU(Woman's Christian Temperance Union)に加盟する私たちの集まりは「矯風会JWCTU」と言います。「Woman」が単数であるのは、「一人一人が神とつながって活動する」という思いが込められているからです。テンペランスは、辞書を引くと自制・節制という意味も載っていますが、第一の意味は「禁酒」です。
 WCTUの日本語訳は「クリスチャン女性禁酒同盟」で、矯風という意味はありません。けれども、日本にWCTUを設立した先人たちは、「わが国の悪しき風習を矯正せん」という心意気を込めて、この会の名称に「矯風」という文字を使って「日本キリスト教婦人矯風会」としたのです。
 アメリカでは1873年の終わりから1874年の初めにかけて、多くの州のクリスチャン女性が、アルコールによって引き起こされる破壊と闘うために立ち上がりました。熱心に祈り、酒場に行進し、酒を売らないように嘆願しました。多くの男性が、その行為に諭され、酒を売る店を閉じました。彼女たちは最初は嘲笑されましたが、やがて尊敬すべき人々となりました。この禁酒運動を世界組織に広げたのが、フランシス・ウィラードです。
 ウィラードは禁酒運動を推進するとともに、婦人参政権運動や、一日8時間労働の提唱にも熱心でした。ウィラードはその功績により、米国国会議事堂内の彫像ホールに、女性で初めて彫像が据えられ、その後53年間、彫像ホールの唯一の女性でした。
初代JWCTU会頭矢島楫子
 「日本キリスト教婦人矯風会」の初代会頭は矢島楫子(かじこ)です。
 1886年6月、世界組織となったWWCTU(世界クリスチャン女性禁酒同盟)から、特派員ミセス・レビットが来日しました。そして、東京での講演を聞いて感銘を受けた56人の女性たちによって、その年の12月、「東京婦人矯風会」が設立されました。7年後の1893年、「東京婦人矯風会」は全国組織となり、「日本キリスト教婦人矯風会」という名称になりました。
 日本キリスト教婦人矯風会は、禁酒禁煙を旨としつつ、一夫一婦制の制定、公娼制度の廃止、婦人参政権運動にも取り組み、女性の地位の向上に尽力しました。
 大阪の飛田に2万坪の遊郭を作る計画が起こったときも、矢島楫子は大阪支部長の林歌子とともに人々の先頭に立って反対運動を推進しましたが、政治の力によって飛田遊郭は建設されてしまいました。「これというのも、法治国家であるのに婦人に参政権がないからだ」と痛感させられ、以後、婦人参政権獲得は、矯風会の主要目標の1つとなったのです。
「平和・純潔・禁酒」を掲げて
 「日本キリスト教婦人矯風会」は、三大目標に沿って、各地で精力的な活動を続けました。 

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